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星と音楽をテーマにした文化情報発信都市 

子供の頃の銀塩写真


子供の頃の天文機材
1990年9月15日、マイルームにて。


 35歳のいいおっさんになったある日実家に帰ると、24年前のアルバムが出てきました。中には、天体写真も数枚含まれていました。自分にとっては貴重な銀塩写真です。

 小学生の頃はいつからか天文少年でして、4年生の時に(星に全く興味のない)父におねだりしてミザールの6cm屈折望遠鏡を買ってもらいました。 当時1万円台だったと思います。機種も分かりません。写真で言うと一番左です。
 父が望遠鏡を購入したことを職場の同僚に話していると、不要な望遠鏡を持っている知り合いを紹介してもらったらしく、 譲渡してもらったのが、手前に写っている10cm反射赤道儀(カートン製)です。これも機種は分かりません。 当時のニュートン反射は長くて実際ベランダに出すことはできず、観測実績はほぼゼロです。部屋の飾りですね。

 6年生になっても天文熱は全く収まらず、母親が当時名古屋にあった天文ショップ「オリオン館」に遊びに行った際、 私が惚れ込んだ中古のミード製20cmシュミットカセグレンを快く購入してくれました。 現在の感覚では小学生にこんな買い物!と思われる話ではありますが、 当時はまだバブル景気の時代という背景もあったかも知れません。 それにしても、16万円という大金を払ってくれたのを今でも感謝しています。 驚いたことに、ミードの望遠鏡の上に父親のカメラが乗っかっています。 覚えていないし写真も残っていないですが、ガイド撮影でもしようと思っていたのでしょうか。

 しかし、父親のカメラを借りて「なんちゃって」天体写真を撮ったことは記憶にもはっきりと残っています。固定撮影ではありましたが、 夏休みに父親の実家に行った時のことでした。それが↓の写真です。

南の空と天の川
1990年8月14日(時間不明)、オリンパスOM-1 35mm-F1.5開放、フジカラーHR100、露光30分。三重県大台町で撮影。当時11歳。

ペガスス座とレビー彗星
1990年8月14日(時間不明)、オリンパスOM-1 50mm-F1.2開放、フジカラーHR100、露光40分。三重県大台町で撮影。

 父の普段用のカメラを借りたので、フィルム感度は100と当時普通にスーパーに売ってた汎用品です。 決して淡い天体には向かない感度ですが、星は線を描いて写っています。 この写真は夏休みの日記と合わせて先生に提出したら、しばらく教室に飾ってくれていた記憶があります。

 レビー彗星は中央部少し右にほんの微かに「もやっ」と写っています。当時4等台で肉眼彗星となっていましたが、 決して肉眼では見えず、双眼鏡でやっと見えました。尾は見えず、ミードの20cm望遠鏡でも厳しかったです。

 さて、小学生時代のアルバムに月の写真も挟んであったのですが、全く記憶に残っていません。 露出時間も短く済むので手持ちで撮影できるので、月は昼間の撮影と同じ要領で映し易かったんですね。

コリメート法による月
撮影日時不明、オリンパスOM-1使用、レンズ不明、フィルム不明、露光時間不明。きっと自宅でミード製20cmシュミカセを使ってコリメート撮影。

 さて、中学生になると天文の趣味から一気に遠ざかります。天文が趣味と言うと恥ずかしいと感じていた年頃で、当時の趣味は「空手」と言い張っていた覚えがあります(笑)。

 さらに天文から遠ざかりきっていた高校2年生頃、百武彗星発見のニュースがあり、久しぶりにカメラを借りて撮った写真が↓です。

百武彗星
1996年春頃、オリンパスOM-1、フィルムは多分ISO800ぐらいで、露光時間30秒ほど。自宅で撮影。当時17歳。

 自宅は光害地ですが、それでも肉眼で見える大彗星だったということです。尾は写っていません。 しかし翌年、大学に進学するとヘールボップ彗星で天文の話題が多かったこともあり、天文サークルに入ると完全に天文熱が復活。 入学祝い金などで国際光器の9cmマクストフカセグレンとビクセンのGPガイドパックを購入し、 大学の寮はわずか4帖半の2人部屋(笑)で、移動手段は原付バイクのみという環境でも観測ができる体制を整えました。 ↓は、ガイドパックにカメラを載せて撮影したオリオン座です。

オリオン座
1997年秋頃(時間不明)、オリンパスOM-1 35mm、ISOは800〜1600か?、GPガイドパックによるガイド撮影で露光は5分程度。鳥取県のどこかで撮影。当時18歳。

 これでガイド撮影デビューかと思われましたが、 カメラが遠い実家の父親のものですし、自分用の一眼レフを買うお金はありません。 大学時代はこの日に撮った数枚だけで、以降は全く天体写真は撮っておらず、 銀塩写真はこれが最後となりました。